異色の経歴!クレーン会社社長の人柄に迫る!(前編)
こんにちは。
クレーンレンタル(オペレーター付き)、重量物吊り上げ作業、各種ラフテレーンクレーン・オールテレーンクレーンの作業・手配を手がけている丸良興業のブログ担当です。
弊社では、クレーンオペレーターや営業職の正社員を募集しております。
そこで少しでも弊社について知っていただきたい、という思いから本日は社長の虻川にインタビューを行いました。
29歳で丸良興業に入社するまでスノーボーダーとして活躍していた異色の経歴の持ち主です。
社長の人柄や考え方について、知っていただけたら幸いです。
輝きたい!サラリーマンをやめてスノーボーダーの道へ
インタビュアー(以下、イ):初めに、社長の経歴について聞いていきたいのですが、学生時代に遡って、どんなことを勉強していたんですか?
虻川:パソコンの中身についてです。メインはプログラミングの勉強です。
大学3年生の時に入った研究室が遺伝子の数を数える所だったのですが、東京大学から来ている教授がいて、その繋がりで東京大学の学生さんと一緒に遺伝子の数を解明する研究をしていました。
イ:まさかクレーン屋さんの社長から遺伝子を数えるプログラムの話が出るとは思いませんでした。(笑)
すごい研究をしていたのですね!それから卒業後はすぐに丸良興業に入社されたのですか?
虻川:いえ、まずは勉強してきたことを活かしてITの会社に入りました。エンジニアです。
でも希望した部署に入ることができなくて辞めてしまうのですが。
なにより一日中パソコンの前にいる仕事なのでブクブク太っていったんですね。それがすごく嫌だった。
あんなに勉強したけど、自分が求めていた生活はこれじゃないと思ったんです。
イ:思い描いていた生活と、現実との間に大きなギャップがあったのですね。
その壁にぶつかって葛藤する人は多いのではないかと思います。そのあとはどうされたのですか?
虻川:その頃、大阪で歌手をやっているという人と知り合うことがあったのですが、その人があまりにキラキラ輝いていて衝撃を受けたんです。
頑張っている、いきいきしたその姿を見て、僕も輝きたいと、そう思いました。
よし、そのために好きなことをやろう!と決心して、それで大学の時にやっていたスノーボードをもう一度始めたんです。
レッスンプロとしてお客さんからお金を頂けるようになるまでは、3年くらいかかりました。
イ:そこからレッスンプロになったのですか?
虻川:そうです。知り合いのスノーボード用品のショップがツアーを組むという話を聞いて、そこに私はコーチとして参加しました。
それが最初の経験でしたね。もっとツアーをやりましょうという話になっていって、そこから私主導でレッスンをするようになりました。
“Go to next”というスノーボードのイベントを毎年開催していて、今年でもう11年になります。丸良興業に入社してからも、皆の理解を得てこのイベントだけはやらせてもらっています。
イ:新しいチャレンジからどんどん人生が変化していくわけですね。
スノーボードのコーチから、丸良興業に入社するまでにはどんな経緯があったのでしょうか。
虻川:海外にも滑りに行っていたのですが、骨折して、プレートを埋めたりする大怪我をして。それを機に考えたんです。
28歳までスノーボードをしても父親(現会長)は私に何にも言いませんでした。しかし、やっぱり親が生きているうちじゃないと親孝行はできません。親孝行のために、ひとまず丸良興業でアルバイトをするところから始めて、気がついたらいつの間にか部長になっていました。
いかがでしたでしょうか。
虻川社長へのインタビューはまだまだ続きます!
学生時代〜働き初めてからの気持ちの変化や、今の仕事に就くまでのキッカケなど…こういうところに人間ぽさが表れますよね。
やはり、「求人情報」だけでは伝わらないことって沢山あります!!
次回も丸良興業、虻川社長のこれまでについて探っていきたいと思います!
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