【中古クレーン1台で創業】自社で整備する丸良興業の49年の歴史
こんにちは。
クレーンレンタル(オペレーター付き)、重量物釣り上げ作業、各種ラフテレーンクレーン・オールテレーンクレーンの作業・手配を手がけている東京大田区の丸良興業です。
今回はちょっぴり真面目なお話です。あ、いつもが不真面目ということではありませんよ。“特に”今回は真面目という意味です!(笑)
その内容とは、なんと丸良興業の歴史に関するお話です!
今を遡ること約50年前、現社長の虻川良太郎の父である虻川〜によって創業された丸良興業がどのような軌跡をたどり今に至ったのか。知っているようで知らない数々のエピソードを特別に公開しちゃいます。ぜひ最後までお読みください!
始まりは運輸会社のクレーン整備工。一代目のクリエイティブさから実現した丸良興業
ってわけで、虻川社長!シャツの胸元をそんなに開けている場合じゃないですよ!YouTubeの視聴者から「開けすぎじゃね?」って声が上がってますよ。(笑)
今日ばかりはしっかりとキメてください!
それにまだ暑いし。
では早速、創業の経緯を教えてください。
就職先は某大手運輸会社で、そこでクレーン整備工の仕事をしていたんだ。
整備工として入ったけれど、当時は今みたいに整備に使う道具や部品が十分にないから自分で探し回って個人的に購入したり、あるいは道具や部品をつくってしまったりして、なんとか仕事を回していたみたい。
整備もできるオペレーターとして華麗なる転職、そして丸良興業の創業へ!
やがて父の話は業界でも知られるようになって、ある時ヘッドハンティングがきて重機屋さんに転職をすることになったんだよ。
そうしたら、今度はそこの社長が「お前はもう独立した方がいい」って言うもんだから、クレーンを1台買って独立したのです。それが丸良興業の始まり。
昭和50年のことだから、今から約50年前だよね。ざっとかいつまむとこんな感じかな。
買い替えずに「直せてしまう」ことで、機械も人も疲弊していく
ただ、継続する中でも変わらなければいけない部分と変わらなくてもいい部分があって、高齢になってくるとその見極めがなかなか難しいよね。
オペレーターが現場から帰ってきてから整備をはじめるんだけど、もし不具合があったら翌朝までに直していたから、みんな夜12時ごろまでは働いていたと思う。
オペレーターもいて整備も内製化しているってスタイルは一長一短で、直せちゃうからいつまでも新車を買わないし、結局人も機械も疲弊していくんだよね。
そんなだからオペレーターの士気も下がっちゃうし、会社が本当によくない方向にいってるなって端から見てて感じていたよ。
社長交代という英断。息子の提案をすんなりと受け入れる
新社長就任と共に思い切って先行投資。新車のクレーンを4台買って会社を立て直し
整備もできるクレーン会社としての立ち位置を確立。現場のピンチを救ったことも
クレーンのオペレーターになる人って、なんだかんだ機械好きが多いから、こちらがそういう方向性に持っていこうとしなくても、みんな前のめりで整備のスキルを身につけているよ。
現物があるし毎日乗っているわけだから、学ぶにはこれ以上にない恵まれた環境だよね。
弊社のオペレーターが夜勤で現場作業をしていた際に、他の業者のトラックが故障して道路を塞いでしまったみたいです。
深夜なのでどこにも連絡がつかず途方にくれていたところ、弊社の社員がパッと駆けつけて、チャチャっと直してしまったみたいですよ。スーパーヒーローですよね(笑)。
クレーンを走らせるための許可申請も内製化。クレーンのワンストップサービスを目指してさらなる進化
今はやっと中堅のクレーン会社になることができたって段階だから、そこを守りつつ仕事の質や社員の労働環境を良くしていきたいよね。
外注にしてしまうと担当者と繋がらないこともあったりして、進められることも進まないで時間のロスになる。
でも、内製化していると社内でいつでも連絡取れるからなんでも早いよね。
丸良興業は整備とオペレーション、それから許可申請もできるクレーンのワンストップサービスを目指しているよ。
ほぼそういう状態だけど、今後は仕事のクオリティをあげて、もっとお客様の満足度を高めていけたらいいなと思っています。
今日は貴重なお話ありがとうございました。